開発者・横尾恵美のプロフィール

 

福島県白沢村、今は合併し本宮市なっていますが、そこにalmoアルモの自家農園があります。

 

ここには私のじいちゃんが暮らしていました。田んぼ、畑、何でも作っていて、実りの山でした。

 

私は小さい時から、畑の手伝いに行きました。畑を耕し、収穫しいただきました。それは当たり前の事でした。

 

ご先祖様が代々守ってきた土地です。大きな栗の木も、梅の木も代々守ってきたから、今年も当たり前のように実をつけます。春が来れば梅がなり、梅干しを作る、秋がくれば、栗がなり栗ご飯をいただく。季節を感じる、家族がみんなで協力し畑仕事をする、毎年変わらない当たり前の風景。

 

・・・だと思っていました。2011年までは・・

2011.3.11の東日本大震災

原発から80キロ少しあるこの畑も、 例外ではなく・・見えないものとの闘いが始まりました。

 

風況被害とはいいますが、沢山の情報に振り回され、安全なのか、安全じゃないのか、この場所にいていいのかそれさえもわからない状況でした。今までの当たり前が一変しました。

私にも子供が産まれ、歩くようになったら畑で一緒に遊ぼう‼そう思っていた矢先でした。子供達の楽しい声が響く畑にしたい、、そう思って沢山の木も植えていました。家族みんなの夢でした。

学校や幼稚園でも外での活動は制限され、放射線量を測るバッチを子供達は付けるようになりました。公園で遊ぶ子供達もほとんど見なくなりました。もちろん、私たち家族も畑に行く機会が減りました。畑にはいつもの年と同じように梅が栗がなりましたが、、食べなくなりました。。福島県産は買わない、食べない。そんな風潮がありました。

数年経ち久しぶりに畑に行ってみると、そこには愕然とする風景がありました。手入れされず、放置された畑には、外来生物のつるが畑全体を飲み込み、梅の木も全体が覆われ枯れる寸前でした。刈ろうとしても、つるの花には、スズメバチが沢山いて近づくのも難しい状況でした。

このままでは、畑が飲み込まれる。。そんな恐怖が私たちを襲いました。どうにかしないとダメになる。このままでは福島の畑がダメになる。

まず、自分達が食べる分の野菜を作ることから始め、できた野菜は放射線量を測ることにしました。数値がでることはありませんでしたが、出荷制限のかかる食物もありました。

そうして6年が経ち、少しずつですが当たり前に近づく事ができてきました。

 

ここで生きていく。ここにも未来がある。

 

私にも子供が生まれ、子供たちが未来を教えてくれました。子供たちの未来を少しでも守りたい。

 

子供達は大きくなって、福島ではないところに巣立つ時が来ると思います。

 

横尾恵美
その時、自信を持って「福島出身です!」そう言って欲しい!!

 

子供たちの未来を守りたい。だから私は、豊かな当たり前の風景が福島のもあることを発信していきたいと思います。そんな思いから、私の挑戦がはじまりました。

 

生い立ち

 

福島県二本松市、安達太良山と阿武隈川、自然の中で幼少期を過ごしました。

 

18歳大学進学のため上京。とにかく東京にいきたい!その一心で大学を目指しました。

 

なんとか無事合格!!法律学部にて法律を学ぶ事になりました。

 

東京生活の始まり、自分がなまっていた!!と気づきました。沢山のカルチャーショックはありましたが、とにかく楽しかったです。

 

あっという間に大学4年になり、みんなと同じように焦りながら就職活動開始しました。

 

とりあえず何がやりたいのか、何に向いているのか、さっぱりわからず、いろんな会社の説明会に出席してみました。”何か見えるかもしれない”そんな気持ちでした。

 

自分についても真剣に考えました。そのうち、自分の外せない就職観がなんとなく見えてきました。

 

  1. 女性が頑張れる仕事である事
  2. 専門知識が必要な仕事である事
  3. 喜んでいただける仕事である事

 

この3つを胸に就職活動していると、偶然行った合同就職説明会にて大手エステ会社に出会いました。

 

横尾恵美
これだ!!

 

エステティシャン時代

 

とはいえ、技術を覚えなければならない。。女性だけの職場。。営業後は毎日練習会で帰宅は終電。。

 

面と向かってクレームを言われる事も多々ありました。自信が持てるよう、必死に練習しました。

 

化粧品の販売も同時に行わなければなりませんでしたが、とても苦手でした。だからこそ勉強を沢山しました。

 

何を聞かれても答えられるようにしよう。どんなお客様にも提案できるようになろう。毎日毎日、必死に技術の練習と化粧品の勉強を繰り返しました。

 

がむしゃらに働いた、サロン経営時代

 

努力は誰かが見ててくれるもので、美容サロン立ち上げの話しをいただき取締り兼店長としてかかわる事ができました。

 

徐々に店舗数も増え、従業員15人程度、渋谷2店舗、青山、札幌の4店舗、札幌と東京を月の半分ずつ行き来し、従業員の育成、講師業務、サロン運営、広告作り、沢山の業務をこなす毎日でした。

 

とにかく忙しかったが、やりがいがありました。全国ナンバー1のサロンにしたい!!そんな思いでがんばりました。

 

そんな中26歳にて運命の出会い、27歳結婚。

 

旦那様は福島県郡山在住。福島と東京を行き来しながら働いていました。

 

2011年3月、東日本大震災。。

 

私はその時、東京で仕事中でした。主人とも家族とも連絡が全く取れず、福島はどうなっているのか、不安でしかたありませんでした。

 

状況が悪化していく原発をテレビで見ているしかありませんでした。電話ごしに、パニックぎみの母・・何もできなかった・・

 

新幹線も止まり、復旧には時間がかかり、私が福島に行けたのは、だいぶ経っての事でした。

 

その直く後、長男の妊娠が分かりました。

 

お腹の中の赤ちゃんが、「家族は一緒に住んだ方がいいよ。」そう言ってくれたように思いました。

 

仕事も夢半ばではありましたが、引き継ぎ2011年10月福島県郡山市に帰ってきました。

 

子育て開始、ママになる。

 

2012年長男出産。

横尾恵美
こんなかわいいい存在があるのか!!

 

しかし初めての子育てはわからないことだらけでした・・

 

震災後、外には出ない方がいいとされ、近くに友人もいない・・小さな長男と家にいる日々でした。

 

ずっと家にいる生活は辛いものがありました。なかなか寝ない小さい我が子を抱え、何度も夜中の授乳・・

 

子育ては孤独との闘いだ・・24時間ずーと一緒。気が抜ける時間がない・・自分の時間なんて全然ない。

 

横尾恵美
なかなか子育てとは大変だ・・ママになっても神になれる訳ではなく、今までと同じ自分・・

 

当然のように、お腹は空くし、疲れるし、怒り、悲しい感情だってありました。いつも笑顔の優しいママを想像してたのに、なかなかできない自分がいました。

 

気持ちを切り替えたら楽になれた

 

ある日、「子育ては一人ではできない!」そう気づきました。

 

一人ではそもそもできないものなんだ!そう思ったら心が軽くなりました。

 

  • ママなんだから、私が全部やらないといけない
  • ママなんだから、我慢しないといけない

 

今まで、ママなんだからって言葉が重くのしかかっていたんです。

 

でも、ママなんだからという考えをやめたら、すごく楽になりました。

 

長男が1歳になった頃、育児サークルに参加する事にしました。今思えば、あの時参加して本当によかったと思います。

 

サークルに参加してみると、みんな同じ状況でした。みんな同じ悩みを抱え、それでもなんとか頑張っていました。

 

先輩ママさんは経験してきた道を教えてくれました。答えは出ないけど、みんなで悩みを話すだけで、聞いてもらうだけで心が軽くなりました。こもっていてはダメ、積極的に外にでることにしました。

 

友達もできました。子供が繋いでくれる縁。とても嬉しかったです。

 

周りのママ達に助けられながら、なんとか子供も少し大きくなり、大変な時期は少しづつ脱出しました。子供と一緒に楽しめる事も増えてきました。

 

横尾恵美

ママが笑顔なら、家族みんなが明るくなる。

 

子育ては一人ではできない。みんなで子育てを一緒に楽しみたい。

 

育児サークルも運営にも関わる事にしました。そこには同じ悩みを抱えるママが沢山いました。

 

ママ達のために自分にできることは何か

 

託児ができるエステサロン、almoアルモ 自然の恵みをいただくサロンオープン。

 

横尾恵美
やっぱり自分に出来ることは、美容を通してママを癒すこと。

 

安心してゆっくり休む時間を作ってもらう事。今のママの悩みをゆっくり聞いてあげる事でした。

 

サロン営業の中、お化粧品について聞かれる事が増えました。

 

自分もそうですが、今までのお手入れは全く出来なくなりました。それどころではなく、自分の時間が全くありませんでした。

 

そして、今使っている化粧品は子供にとって安心なのかな。そんな疑問も湧きました。

 

メイクしていても、ママの都合は考えずスキンシップを求める息子。

 

あんまり、手で触って欲しくないなとか、子供にも安心な素材で化粧品は作れないのだろうかとか考えていました。

 

今までの化粧品の知識に加え、いろいろ勉強し手作り化粧品のワークショップを開始しました。

 

簡単に作れる日焼け止め。ママも赤ちゃんも一緒に使えるようなものにしよう!と思ったのです。

 

赤ちゃんの肌にでも、肌の弱いママでも。何度も何度も試行錯誤を繰り返し、レシピを作りました。

 

  • これよかったです!
  • 肌が調子いいです!
  • 子供も安心して使えます!

 

そんな声をたくさんいただくうちに、もっと自信を持って、責任をもって、必要としてくれている方に届けたい。

 

特に、クレンジングや洗顔方法が一番大切というのは、エステ時代からたくさんのお客様の肌を見て感じていたことでした。洗いすぎている方がとても多く、自ら肌トラブルを引き起こすお手入れをしている方が沢山いました。

何を使っても効果を感じない、美容はお金も時間もかかってめんどう、そう感じている方が多く、もっとシンプルで簡単でいいのにな。楽しい時間になればいいな、そう感じていました。

 

おすすめのクレンジングを聞かれるも、なかなかいいものがない。

手作り化粧品にも限界がある。。特にクレンジングのように水を使う化粧品は防腐が難しく、乳化は特に手作りには限界があります。しかも、手作り化粧品は自己責任。とても無責任に感じました。

 

さらに、調べていくと、市販の化粧品の成分の分かりにくさ、イメージ戦略、誇大広告。売上市場主義で動いている、化粧品業界の裏側。悲しくなりました。

 

お客様に責任をしっかり持ち自信のある商品を届けたい。

 

横尾恵美
自分で作るしかない!!

 

とはいえ・・自分で作れるの⁇どうやって⁇できるのかな⁇そんな疑問がいっぱいでした。

 

とにかく動いてみました。しかし、なかなか伝わらないことが多くありました。

 

『余計なモノは入れないで下さい。』と言ってみても、化粧品会社は余計だと思って入れているわけではないので、その本位が伝わりませんでした。

 

余計なモノは何を指しているんですか?そんな質問が返ってきました。

 

運命の出会い

 

自分で開発するって大変だな。。そう思い始めていましたが、とにかく動いてみました。すると、突破口が見えてきます。

 

  • まず、じいちゃんが守ってくれた畑でヘチマを育てました。
  • 原料に責任を持ちたいので、完全無農薬でヘチマ水を作りました。
  • 専門機関にお願いし、ヘチマの放射線量も測りましたが検出されませんでした。

1つクリア。

 

  • 製品化を農学博士 川上晃氏に依頼する事ができました。
  • 川上博士は天然素材からほとんどの成分を作れるそうで、自社農園で育てた植物を使い化粧品を作っていました。この方ならお願いしたい。

2つクリア。

 

完成まで、何度も試作を重ね、自分の肌で何度も試しました。化粧品は中身が大事ですが、商品はそれだけではできません。

 

容器も沢山サンプルを取り寄せ、実際使ってみました。

 

  • より簡単に、ママもお子様も一緒に使えて、ストレスを感じないのもはどれか。
  • 忙しい毎日の中どんなお手入れだったらできるか。

 

友人のママさんにもリサーチを行いました。

 

ロゴはどんなものにするか、そのように売っていくか。決めないといけない事は山積みでした。

 

みんなに協力してもらいながら1つずつクリアし、ついに製品化にたどり着くことができました。

 

あとは想いを発信するだけ

 

現在息子も6歳と3歳になりました。

 

そして、almo(アルモ) 自然の恵みをいただく化粧品も完成しました。

 

あとはこのalmo(アルモ)化粧品を手に取ってもらい、良さを実感して頂くだけです。

 

震災後、故郷である福島県に恩返しがしたい。

美容業界で働いてきた経験を生かしたい。

安心安全、簡単美容の提案を通して、ママを応援したい。

そんな想いを商品に乗せて、豊な福島を発信していきたい。

 

そして、子供と一緒に、楽しみながら自分の人生も楽しんでいきたいと思っています。

 

横尾 恵美